メールニュース巻頭インタビュー
國谷尊之先生(群馬県安中市)
「ピアニスト・指導者として見る、バスティンの魅力」
◆指導者としての生涯の目標
『弾き手も楽しんで、聴き手も楽しむ、本当の音楽文化を日本に根付かせたい』
これが私の一生の目標です。時代に合った効果的なメソードを使って、子どもが楽しみながら力を伸ばしていければ、喜んでピアノを続ける子どもを育てられます。その延長線上で、将来音楽を職業としたり、ピアニストとして活躍する人材を生み出すこともできます。そして生徒の全員が将来音楽の専門家にならなくても、きっと生涯にわたって音楽を楽しむ感受性を持った大人になることができるでしょう。
私は現在、四期別指導法セミナーやトークコンサートを通して、バスティン・メソードと関わっています。バスティン・メソードを多くの方々に使っていただくことで、前に述べた「生涯の目標」に近づくことができると思うからです。
私が実際に指導をしているのは導入より中上級の生徒が多いですが、そこで大きな目的としているのは「生徒の自立」です。生徒への教え方は先生方によって様々ですが、私は主に作品に対する自分の考えや、「なぜそう考えるか」ということを生徒に伝え、演奏の例や練習方法を示すやり方をとっています。そしてそれを通じて、最終的には生徒が自分で音楽表現をイメージし、追求して行くことができるという姿を思い描いて指導にあたっています。
◆ピアノの魅力を考える
楽譜をよく見ると、出版社や校訂者によって譜面の景色が違いますよね。そうした記譜の感じから、音の情景が見えてくることもあります。出版された国のお国柄も感じられて面白いです。
日本の楽譜も最近は音楽的な着想を誘うような良いものも増えてきましたが、以前のものはそうでもありませんでした。非常に整っているけれども、収まるべきところに収まっていないような、どこか窮屈な感じがするものが多かったように思います。バスティンの譜面は、全体に窮屈そうな感じがないですね。アメリカ的な余裕というか伸びやかな感じを受けます。
最近これと似たようなことを、たとえば連弾の演奏などにも感じています。日本のコンクール等で連弾を聴いていると、みんなが双子みたいに同質で、あまりにも整いすぎている、と感じることがあります。
もちろんそうした演奏の仕上げの水準の高さは素晴らしいことです。しかし、一方で連弾のおもしろさは、例えばひとりが他方の予想もしないことをした時にそれをどう受け止めるかといったアンサンブルならではの不確定性や、二人の音色・アーティキュレーション等の違いで響きに新鮮さや奥行きが生まれる、といった点も大きいです。それは、たくさんの楽器の音色の重なりが生み出すオーケストラのおもしろさと共通するものがあります。こうした連弾の醍醐味をもっと開放的に味わう文化があると一層良いのではないでしょうか。
では角度を変えて、オーケストラでは味わえないピアノならではの魅力とは何か、考えてみましょう。少々乱暴な分け方ですが、たとえば
- ピアノ曲にオーケストラ効果を出したのがベートーヴェン
- ピアノ機能を最大限に生かすことを意識したのがドビュッシー
と言えると思います。もちろんここでショパンについても触れなければなりません。彼はピアノでなければ実現できない音響効果を初めて作り出した人と言っても、言い過ぎではないと思います。ちょうど彼が活躍していた頃は、ピアノの機能がぐっと現在のピアノに近づいた時期でした。
◆日本の古典派中心主義(?)について
ところでベートーヴェンは日本では楽聖とも呼ばれ、半ば神格化されているようにも思えます。おいそれと批判できないような雰囲気さえありますが、実は一歩海外に出るとそんな国ばかりでもありません。現にドビュッシーは、ベートーヴェンについて『ベートーヴェンはピアノの害になる作曲をしたと、私はついに確信するようになった』などという、ちょっと意外な言葉も残しています。もちろんベートーヴェンは偉大な作曲家です。しかし指導メソードについても、頑なに古典派を中心に据え続けるのが良いかどうかは、全く別の問題です。
導入期メソードでは、日本では「バイエル」がまだまだ幅をきかせていますが、海外ではすでに役割の終わった教本として全くと言ってよいほど使われていません。バイエルの当時と比べると楽器も大いに進化し、20世紀にはいって指導法の研究も大いに進みました。そして、新しいピアノの魅力を生かしたロマン期以降の作品も膨大に生み出され、ピアノのレパートリーや表現方法は、古典期までの時代とは比較にならないくらい拡がりました。そうした中で、今やバイエルやその時代のメソードを使い続けることには全く合理性がなくなったのです。
◆バスティン・メソードを考える
言うまでもなく子ども達へのピアノ指導にあたっては、指導教材やその研究は大変重要です。勤務している大学の講義で、私はピアノ指導教材の紹介もしています。学生の間でも、バスティン・メソードは知名度が高いです。
私は小・中学生の頃に作曲を少しだけ勉強した体験をきっかけに、曲の構成に関心が深まり、そこに物語性をもたせ、表現に理由を求めながら演奏したいと思うようになりました。曲を作る側の視点も持つことで、より生き生きと作品の魅力を聴き手に伝えることができます。何より、自ら作品に対してどんなイメージを持ったらよいか考えて演奏することは、ただ外から与えられた指示通りに弾くことよりもずっと楽しいです。そうした点をより楽しめるようになるには、音楽がどのような諸要素からなり、それらがどんな役割をもっているのかを会得していくことが有効です。
バスティン・メソードを分析すると、西洋音楽に必要な、普遍的な三要素「メロディー」「リズム」「ハーモニー」が教材の中に揃っています。別々に取り上げられたり、融合した形で取り上げられたりと、形を変えながら全ての曲に三要素の観点が組み込まれています。そして、セオリー(楽典)では、その各要素の役割がはっきりと示されています。ハーモニーの緊張と弛緩が、当たり前のように楽曲に含まれていて、楽譜通りに素直に演奏することで音楽的な表現へとつながります。使われるハーモニーは、基本的な進行を中心としたシンプルなものから徐々に発展して行きます。楽曲に書きこまれた表情記号はそうした諸要素に忠実で、演奏をするのに無理がなく自然です。何より、それぞれの楽曲の学習ポイントがはっきりしています。学習内容が理にかなっていてバランスがよく、過不足なく盛り込まれたバスティン・メソードは、バスティン先生の豊富な指導事例と研究に基づいて作られていることがわかります。
幼い頃に身につける、基本的な和声感は大切です。それに加えてバスティンで得られる全調の色彩感は、西洋音楽の基本でもあります。ぜひ指導者が気持ちを込めて弾いてみせてあげて下さい。子どもの耳から入ったものが、その後の音楽性を発展させる礎を築いてくれることでしょう。導入期には五線を読ませることに決して固執せず、子どもが音に対する感性を飛躍的に発達させる大切な時期を逸さないことが大切です。
教育心理的に考えられた挿絵と楽譜の大きさも、子ども向けに最適であると言えるでしょう。挿絵がアメリカ的であることについても色々な考えがあるでしょうが、語学学習と同じで、変に日本化しない方が効果的かもしれません。
◆響きを味わう、新習慣
私にとってジェーン・バスティン先生は歴史上の大作曲家と同じくらい偉大な人という感覚です。第1回バスティン・フォーラムでは、そのバスティン先生とお会いし、中級ピアノコース全調ソロの「春のおとずれ」など、何曲かを演奏しました。緊張のせいもありましたが、バスティン先生にとっては演奏が急ぎがちに感じられたようで、「もう少しゆっくり弾いて下さい」という助言をいただきました。実際にバスティン先生のレッスンを見たり、生徒さんの演奏を聴かれた方はご存知かと思いますが、全体としてかなり演奏スピードはゆっくりです。もちろんこれには理由があります。
人間は、音を聞いてから感じるまでに時間がかかかります。自分が出した音を感じるひまもなく次の音を出してしまうのではなく、演奏した自分の音を聴き、味わう時間を取る、つまり、「響きを聴く」ことが、子ども達の耳と表現技術を育てるのです。
そして、ずっと聴いてばかりでは耳が疲れて、感覚がにぶってきますよね。時々休ませることも大切です。私はレッスンでおよそ10分に1回、一度膝に手を置かせて音のない時間を作っています。たった10秒でも良いのです。べダルのにごりが気になる方には特におすすめです。演奏や練習の中で、響きを味わう時間をぜひとってみて下さい。
◆最後に・・・
20年前は、ピアノを習うとピアノ嫌いになり、劣等感を抱いて二度とクラシックを楽しむ消費者層に戻ってこない・・・という話もよく耳にしました。その時代は指導者が学習者の上に立ち、とにかく指示を守りながら学習するいう構図が当たり前にありました。先程も申し上げましたが、勇気を持って近現代も含めたさまざまなピアノ作品、そして今の子ども達に合ったメソードをお手にとってみて下さい。そして、学習する子どもによってメソードを使い分けて下さい。
「上達するには、専門家になるには、苦行が必要」というのは誤解です。ピアノ指導者の共通の目的は「音楽を根づかせること」、これに尽きますよね。どうぞ、喜んでピアノを続ける子ども達や、当たり前にクラシック音楽を楽しむ人をたくさん育ててください。
◆ピアニスト國谷尊之先生が奏でるバスティン(動画)
ピティナピアノステップ巣鴨1月地区トークコンサートより(2011年1月16日 東京都豊島区 東音ホールにて)




















