藤原亜津子先生 講座1000回記念インタビュー

■1000回の感想
えっ、1000回?という感じですね。気が付けば1000回。あっというまでしたね。
かつて大村典子さんが「講座1000回記念」のキャッチフレーズで出られていた時があるんです。その時考えたのは、自分も講座を1000回は受けてるな、と。(笑)
その頃は毎週講座に行く日、というのを決めていましたから、月のうち3-4回はどこかへ勉強にいきました。人が集まるところに行けば情報がもらえる、という期待もあって、行ったら何かしら私のアンテナにとまる事があって、大村先生が1000回になったときに、私も000回ぐらいは講座にいってることになるな、と思ったんですね。

以前はヤマハや故福田靖子先生からお話をいただいて、バスティンに限らずいろいろな内容で講座をやっていましたが、今回の10年間はバスティンを広く、皆さんに伝える役割で、実際に自分の指導現場の実践報告として、色々な例をお伝えしてきました。私もみんなと同じなのよ、というのをアピールすることが私のコンセプトだったと思うんですね。そして気が付けば1000回なんです。

気力体力共に、講師を元気で継続できた秘訣は、待っている人達がいるからです。つたない私の経験を、皆さん笑顔で聴いて下さいますから。顔でわかるんですね。喜んでいただけるのは嬉しい。舞台と聴衆みたいな関係です。講座にはリクエストされて行く場合が多いですが、嬉しさと喜びと責任感で、いつも精一杯お答えしようと思ってやっています。

■印象に残る出来事、出会い
私は講座内容に関して、常に「これでいいのかな」と自分に問いかけています。
最初の頃は、アンケートに書いてくださった感想を見て、「あ、こういうところが知りたいんだな」と、みなさんのニーズを探っていました。自分の話す内容も、それに沿ったほうが実りある講座になるだろうと思いますから、貴重な私への問いかけであったわけです。

そしてある時、島根のK先生が講座の後に「私は今までに何百回って講座聞いたけど、こういう講座を聴きたかったのよ。」と言ってくださって、すごく励みになりました。「あなた(講師を)やっていいんだよ」と後押ししてくれたように思えて、すごく嬉かった。その方には「あなたの一言で今日の私があるのよ」って、言いたいぐらいです。今でも時々お会いしますが、これが最初の頃の印象深い出来事のひとつです。

次に勇気を与えてくれた励ましは、大阪の集中講座にいらした浜松のY先生。集団の中にいても、何かオーラがあって、しかも質問や感想文が印象的でした。まだご結婚されてまもなくで、これから小さい子を教えようという立場の彼女が、おそらく情報収集か何かの目的で参加されたのでしょう。後に彼女曰く「こんな手取り足取りの指導なんて、やってられない」と思われたみたいですけどね。(笑)でもそんなにいうなら、その通りやってみようか、ということで、2年間ご自分の教室で、私の言ったとおりの指導を実践なさって、講座でも何回もお目にかかって、成果がでたことの自分なりの受け止め方を、レポートにまとめられました。それが東音から転送されてきたのを見たときに、嬉しかった。みなさんコツコツと研究してるでしょ、人体実験もして。彼女はそれを記録して、感想も添えて、論文としてまとめて報告してくれました。私に対する励ましですよね。勇気ある彼女の行動が、感動でした。こうやって(私の講座をきいて)喜んでくれる人がいて、成果を出してくれる人がいて、なんと嬉しいことでしょう。

大阪では、長いこと「先生方の意識改革」というシリーズで影響を受けた出来事、影響を受けた本、というようなテーマで、講座をしてきました。最初からバスティンを全面に出すのは問題がありましたので、地域の音楽文化振興の話などと一緒に、自分が実際に使っている教本の紹介として、お話していました。自分を高めようという意識でやってきたことを振り返る、良いきっかけとなったシリーズでした。そしてその中から50人ぐらい希望者を募り、バスティンの指導法講座がスタートしました。この選ばれた50名と共に、60回程、講座をしました。

そして宮崎は、シリーズで長くお世話になりましたが、毎回講座の前夜には懇親会があって、とっても楽しい文化交流をするんです。高級な話、音楽の話、などいろいろ。みなさん仲が良くて、充実した会です。鹿児島や、奄美も、飛行機の出発の時間までいろいろお膳立てして下さって、ちょっとした旅行気分で楽しませていただきました。

各地で共通して言えることは、とにかくみなさん元気で、明るい、行動力がある。まさに「類は友を呼ぶ」です。

■移動中や行った先でのエピソード
失敗から学ぶことはたくさんありますね。この間沖縄に行って、暑いと思って半袖を着たのですが、内地からの観光客だけで地元の人はみんな長袖。北海道は寒いというイメージがありますが、みんなコートの下は薄着。先入観ですね。

それから、知らない土地での電車の乗り継ぎで、上りと下りを間違えて、逆方向に行ってしまって、引き返したらこれが最終だった、とか。でもね、失敗から学べ、と楽しんでいる自分がいるんです。落ち込んで悲しくて、ではなく、これも経験と楽しく笑ってながす。知識なかったわ〜。ってね。(笑)携帯が普及したおかげで、随分楽しめるようになりました。遠くの友人に報告メール送ると「がんばって〜」と返事がくるんです。新型の電車や飛行機で、新しい装備を見つけるのも楽しいですし、新幹線の中で、コーヒーをワゴンサービスで買うのも好きです。(笑)


■受講者の変化
大阪での先生方との交流を例に挙げると、講座を始めて4年目ぐらいに、だいたい皆さんが教材の中身をよく理解し、意識も高まり、行動に移せるようになって、結果をだせるようになってきました。歴史って、最初の子が何年かたたないと、歴史っていえるだけの成果はでてこないから、先生方にとっても実践の成果といえる言葉になるまでには、時間がかかるんです。指導者は10人10色ですが、やはり第三者の心を動かさなければ、成果とはいえません。コンペやステップに何人出したかなど、数字だけでさっと判断する人も中にはいますから。結果をつかむのには時間がかかりますね。

楽器店さんは楽器を売るのが仕事、楽譜の出版社さんは楽譜を売ることが仕事です。私たちは生徒を上手くすること、読めて弾ける子に育てるのが仕事です。それぞれの仕事の目的が何であるかというのを常に頭において、子供を育てる。そのためには良い教科書、良いプログラムを使いたい。先生方は、生徒に良いものを伝えるのには、多少お金がかかることを承知で、講座に来てくださっている。そういった意味で、みんなの意識が変わってきていると思います。シリーズの講座などは、最初は後ろの方に遠慮がちに座っていた先生方も、慣れてくると前に座ってくれるようになりますね。「藤原先生の講座は前のほうが良いよ」って、声かけあって、今日何話してくれるのかなって、楽しそうですよ。


■講座に多く寄せられる質問
講座の後の質問は大好きです。質問は、その先生のお悩みの点ですから。聞かれる質問は、たいてい、自分でも経験あるんですよね。自分なりにそれを超えてきましたから、こんなのはどうですかね、私ならこうしますね、というのがきっかけになって「あ、なるほど。お話してよかった」という気持ちになるようです。

一番多い質問は「どうやったらコンクールに受かりますか」ですね。これだけやってるのに通らない、という事でしょう。それは「指導の甘さ」だと思います。私自身も「あ、指導が甘かったな、もっと徹底しなきゃ」と思うことはあります。いきなり試験の時につっこんだレッスンをしても、生徒がついてきません。「先生、人が変わった」って思われるだけでしょう。それは良くない。つっこむようなことを、入り口から常にやっておいて「ほらいつも言ってるでしょう、呼吸よ、拍子感よ、バランスよ、フレーズは?方向わかってる?」と、常にハイレベルなものを求める。普段やっている事ならば、本番でもやれるのだと思います。

私の経験では、本番上手くいかなかった生徒の理由は、その子の環境や努力の密度など、いろいろありますが、結局は、指導者である自分が、もう少し日々から徹底してあげればよかったなと。「もっとあそこのところ、素敵に響くPPを徹底してあげればよかったな、惜しかったな」と思う事があります。だから指導者が、何をどうすべきなのかを学ばなければいけないと思います。「指導することは、自分が学ばなければならない。」これに尽きます。突き詰めると知らないことだらけなのです。作曲家、時代別、音の出し方ひとつにしても、レガートって何?って、どれだけわかっているか自分に問いかけると、ちょっとはわかってるけど、殆どわかってないんですね。(笑)それがわかったら、今度それをどうやってこの子たちに教えるのかを考える。私なりのイメージがあって、それを自分の言葉で伝えた時に、子供もイメージで受け止めて、音で応えてくれれば、それは伝わったのだと思います。そうやって、この子をどう育てていくか、考えるのもまた楽しいのです。


■教具への思い
私は教具とは、「指導者が、伝えたい内容を再確認するための道具」だと思うのです。
何のために使うのか、全て目的を意識してほしい。教具はひとつの目標に対して、目先を変えていろんな切り口で対応できますよね。例えば、いい音を出すために「いい手のかたち」「指先しっかり」「手首らくらく」の意識を高めて、強化させるには、どんなものがあるのかなと。その昔、卒業したての時は、ドはドでしかない。場所を教えるだけで精一杯で、表現のことまでは伝えていませんでした。今では、弾くということは表現すること。表現とは気持ちを表わす音と、最初から教えています。読譜前でも音は存在しますから、ドはドでも気持ちを込めた音になっているか、末端に気持ちが乗っているか、この目的を意識してもらうために教具を使います。

私の育った時代にはこんなことは教わりませんでした。昔は、生徒が自分で気が付くまでほっておくような、丁稚奉公的な指導だったと思いませんか。それだと生徒は年取っちゃうし、忙しくなりますから、教具はある意味で近道。私は、生徒がピアノパーティーC(読譜)に行く前に、この意識を育てたいと思っています。

いろいろな教具が誕生するのは、先生方が指導の目的を理解されて、現場で必要と感じたからこそ。作った人が、一番使い方をわかっていますよね。聞いた人も、考案者の思いに共感すれば、納得していとおしく使うでしょう。長い人生でこれを使うのはほんの1コマ。そのくらいレイアウトしてあげてもよいのではと。音楽の世界へようこそおいで下さいました、という気分ですね。


■良い音づくりにこだわる理由
結局最後は音なんですよね。PTNAに生徒を出して、講評用紙をもらうことによって、いい音ってなあに?と自分に問いかけます。あたった音、かすれた音、割れた音、割れない音、PPでも、ホールの後ろまで響くPPってどれ?その対比を自分の中で記憶しなかったらテーマがわきません。

演奏を職業としている人は、命がけでそういうことを追求していると思いますが、聴衆を育てるという面では、私がまず聴衆になって、楽しみながら聴く。この姿勢になれてきたら、聴き方の訓練。無理がない演奏って?骨の違い、筋肉の違い、意識の違い、なぜ男の子の音は女の子の音よりもカーンと響く音がでるの?って。演奏の追求を知れば知るほど、聴く側のレベルが上がり、耳で違いがわかるようになると思います。

そして最終的には、自分の音を知る、持つ。私はこういうピアノなんです、というのが、面白いところではないでしょうか。コンクールでは同じ曲が続きますが、同じメロディー弾いていても、みんな音が違いますよね。その中でいい音の子が残る。指導者の耳を肥やさないと。入り口の時からそれを意識して目標にしています。私の場合、全て「何?」からはじまっているんです。探究心ですかね。

では指導では何が必要か。音を知るための耳をつくる、聴く力を養成してあげる。響きを知るとか、考えさせることの訓練ですね。自立させるために、どんな音を出したいのか、そのためにはどうすべきか、自分で考えさせます。考えることが成長には必要なんです。そしてがんばることで知る達成感を味わった時に、私も喜びを一緒に分かち合います。わかってくれたことが嬉しい。小さいころからこれを経験させています。私の嬉しい気持ちを「ごほうび」という形で、プレゼントをあげています。

がんばらせるための仕掛けを作ったのは私、それに応えてくれたのは生徒。良い関係ね、と確認することで思いが通じているんですね。


■生きがいと使命
指導者として生きがいを感じるのは、その子の成長にかかわれること。人生の成長期に、エキスの一粒になっていることは嬉しいです。この先、世の中の荒海を泳いでいくのに、負けないでがんばる自分を発見させながら、努力すると達成感があるよ、と気づかせることの繰り返しですよね。喜んで、向って、喜んで、また向って、そして大きくなっていく。いろんな人の人生にかかわれるのはステキな事です。

指導の醍醐味は、白いキャンバスに色を塗ることと同じだと思います。このお絵かきがどんな色になっていくのだろうか、いつも楽しみです。

入り口を教える先生は、コンサートを開いている人達とは違ったチャンネルを持っていて、
生徒がこんなに来てくれる、生徒に信頼されているという喜びがあるわけで、これは本当に嬉しい限りですよね。この気持ちに応えたい。応えなきゃいけないでしょう。
私がレッスンの風景を講座でお見せしたり、年に一度レッスン見学を実施するのは、仲間を増やしたいから。入り口の指導は価値のある仕事であることをアピールしたいんです。
多くのお教室では、入り口の生徒達が一番多いはず。その段階を楽しくやることは、良いことだと思います。

私自身がピアノを楽しく勉強できるようになったのは、40歳位からでしょうか。
小さい頃から、いつになったら楽しいと思えるのかずっと考えていました。だから私は、半面教師でレッスンでは絶対怒らないんです。そして教える項目を小出しにせず、次から次へ追求のアイディアを考えて、それを皆さんに見ていただいて、お互いに大いに交流して、音楽人口を増やしましょうですね。昔、音楽は贅沢品でしたが、今は大衆的なものになっています。生活の中に、こんな楽しい音楽がある。音楽は良いよって。頼まれたわけではありませんが、これが自分の使命だと勝手に決めてやっています。入り口を指導する先生が元気にならないと、日本はだめになる。仲間としての日本列島改造。私たちは「地上の星」だと思っています。地上の星が、音楽を愛する子供たちを増やして、日本列島をキラキラさせましょう。みんな同士。がんばるぞ。


■親とのコミュニケーション
私はピアノ教室を始めてまる43年になります。教室を始めた頃と比べて思うのは、最近は、親御さんが子供に対してこう育って欲しいというエゴがあまりない。親の人生観=子供の人生観になりますから、親はもっと、子供に対してこうあって欲しい、と思っていいと思うんです。今、それを説くのは私になっているんですね。親があまり考えずに子供にピアノ習わせる。でもだんだん私にはめられる。(笑)

ピアノ指導で子供を育てている段階というのは、芸術というよりは教育的要素が大きいですね。人間が育っていくところにピアノがかかわっている感じでしょうか。相手の人生に音楽をひっかけて、ちょっとおせっかいしてるような。でも5年後10年後に、過去を振り返ることで気づいて冷静になってくれればいいんです。毎年発表会のプログラムには、自分の思いを書いていますが、親もだんだんと(私の思いに対して)「そうかもしれない」⇒「そうよねきっと」⇒「そうだわ」⇒「そうよ!」とその気になってくれるんです。これが私を理解してもらうための伝達方法ですね。

また、今の子供は落ち着きがないと言われますが、私のところはそんなに問題はないようです。私が年上だから、少し神妙に受けてくれるのかもしれませんね。一方で、親のあせりは良くないと思います。親があせっているとコミュニケーションが難しい。そして結果を急ぐ。長い目でみて、いつか花開くというスタンスでいいと思うのですが、親なりの強い思いに対しては、私はそこまで立ち入れるものでもありません。世界に通用するのではないかという、優秀な子は何年かに1人、滅多にいませんし、自分がこれだ、と完全に見極める力があるかといってもそれもわかりません。何十年の間に普通になってしまうかもしれない。

■最近印象に残った言葉、大切にしたいイメージ
最近印象に残った言葉は、近所の郵便局で見つけた「まみむめも訓」。とても良い言葉だったので、3回読んで覚えて帰って、ピアノの先生ヴァージョンを作りました。

まじめにこつこつ地道な指導
みんな仲良し地域が大事
むりなしむだなし手抜きなし
めくばり気配りコミュニケーション
もっとも大事な生徒さん。(生徒あっての自分だから。)

またつい最近、ヤマハの教室案内のポスターで、

−音楽は、やさしさとか勇気とか夢をもつとか、
目にはみえないけれど、お父さんお母さんが
子供に伝えたい一番大切なことにつながっていると思う−

という言葉があって、子供の愛くるしい写真がついていました。まあ、何と見事で無駄のない文章!これが縦に書いてあり、縦書きか横書きかでイメージが違うんですね。縦だとうなずきながら読めるので、この感じが素晴らしいと思いました。

私はレッスンの時、「ワン、ツー、スリー、フォー」と、歌うように子どもに拍子をとってあげるのが好きなんですね。ことばがソフトで、ひとつひとつに「どうぞ」という気持ちをこめている。「いち、に、さん、し」だと弾け、弾け、という感じがしてしまって。ワン、ツー、スリーはなぜか不思議な響きを放つんですね。音楽の発想が広がっていくというか。

全て、気が付いた時がスタート台なのだと思います。自分史の中で「その時歴史が動いた」のようなことになる。今日の話が少しでもそんなきっかけになれば、嬉しい気がしますね。私は先生方よりも少し年がいってるから、こんなことが言えるのかなと思います。

以上